2003年、ニシジマオが所属していた劇団のイベントに借り出され結成。「打ち込みをバックに全力で何かをする」が基本。PCによるノイズ・即興ヴォイスコーラスを操りつつ体格に似合わない声量を繰り出すヴォーカルに、脇を固めるメンバーたちによる照明、小芝居、小道具、時には傍観というパフォーマンスが重なるスタイルで運営。
2016年、家庭の事情で休止を余儀なくされるも年末ごろにはソロで始動、2017年てっちゃんが脱退。その後ニシジマオのソロワークと化していたが2019年からDJたまきおが復帰し今に至る。
2006年に(※ごく小規模で)東京でワンマンライブ敢行。
2014年にサンセットライブ(※夕凪ステージ)出演。
「売れないようにこっそりと、わかりやすくなんてもっての外」「こんなものが売れたら世も末な音楽」をモットーに、無駄にポップな電子音楽(※作曲能力の限界でそれしか作れない)をやっています。
Youtubeなど一応はあるんですが、「前嫁が亡くなる前にYoutubeを延々見ていた姿を思い出してしまうので辛い」という切ない理由で今後とも積極的な活用は見送る所存です。
宇宙サービスの歩み
2003/5
福岡市青年センターのイベント「くうきプロジェクト」(現在は青年センター閉鎖)開催のため急遽ユニットを結成することに。
メンバーはニシジマオ、キドイチ(※現在農家で年商億越え)。KBCラジオの投稿コーナーに楽曲「ジゴロ2001」を投稿し失笑を買う。12月にキドイチ脱退。
2004
4月に風原優人正式加入。To Heartの制服で登場、デビューライブ(くうきプロジェクト)では司会の女性二人組が「どこの制服か」と色めきだつおもしろハプニングにスタジオの峰竜太さんも思わずにっこり。1~2ヶ月に1本の割合でライブを行う。
2005
音源「宇宙ドン」作成。現在も生き残っている楽曲は「ボブスレー」のみ。
11月頃にライブハウスデビュー、初戦はVoodooLounge(ラウンジサウンズ)。それまでの主戦場はバー・演劇系のイベントのみであった。客演ダンサーが脱いでしまったりと思い出は尽きず。
2006
4月、東京のバーを借り切って、ニシジマオが運営していた参加型サイトのオフ会とワンマンライブを同時敢行。
全国から集客に成功ししばらく小躍りするも5月のライブ中に足を骨折。11月にてっちゃんが加入し3人体制に。「いい大人」辺りのナンバーがこの時期初出。
2007~2008
VoodooLounge、デカダンデラックスなど複数のライブハウスで月一でライブ敢行。
2008年、ニシジマオの結婚で一時活動休止。
2009~2010
秋ごろ音源「かみなり奉天」を完成させ、ライブ活動を再開する。ブックオフを燃やすのでおなじみのライブナンバー「男気」はこの時誕生した。
他に「ゴーレムさん」「ヨドバシ」など。以後同じように月一でライブ活動。久々に県外で長崎にも出動している。
2011
夏ごろツイッターで意気投合し、たまきお加入。「ヨコチンロックフェス」などにも参加。対バンも豪華になる。
「カニレーザー」「I am Newspaper」と2枚音源製作。「ふわふわ時間2」という珍曲がなかなか頭から離れない。
2012
岩国ロックカントリーに初上陸し、以後半年に一度の割合で岩国ライブを敢行。「オスプレイ」はこのとき作った曲。「ロシアの文豪」「ランゲルハンス島はわが領土」辺りもこの頃か。
この頃からUTEROに出演するように。カウントダウンライブも出演している。
2013
結成10周年でアルバムCD「業務用」を発表、それまでのライブナンバーを網羅。この年は岩国、防府などでもライブ。
この頃「これ以上成長の望めない君に」初出。
2014
3月、元たま石川浩司とのスリーマンライブで初の生演奏披露。この時のパートは風原優人がドラム、たまきおがギター、ピアニカにナカヤママリ(客演)。
夏にはサンセットライブの夕凪ステージに出演。
ドラムロゴスにもイベント参加するなど盛りだくさん。
2015~2016
2015年末ごろから2016年秋にかけてニシジマオ前妻の闘病・逝去に伴い活動を休止。冬にはライブハウスに復帰しデモ音源シリーズ「2016-1」「2016-2」を製作。この時に作ったナンバー多数が今後のライブの主戦力に。
2017
岩国ライブを再開。秋にはてっちゃんが一身上の都合で脱退。脱退ライブでは二人が敬愛するバンド「たま」のアンコールナンバー「おやすみいのしし」のカバーで見送った。
2018~2019
2018年からソロ形態中心でライブ活動、2019年からたまきおが復帰し二人体制に。2020年から緩やかに音源製作中。